【正論】京都大学教授・佐伯啓思 「マルクスの亡霊」を眠らせるには

  2008.7.31 02:33 を紹介します。

 一応、全文掲載しました。<太字は正論かもによる>

 URLは下記です。
    http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080731/plc0807310235000-n1.htm

 ≪急速に左傾化する若者≫

 若い人を中心に急速に左傾化が進んでいる。しかもそれはこの1、2年のことである。小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになり、マルクスの『資本論』の翻訳・解説をした新書が発売すぐに数万部も売れているという。若い研究者が書いたレーニン論がそれなりに評判になっている。書店にいけば久しぶりにマルクス・エンゲルス全集が並んでいる。私のまわりを見ても、マルクスに関心を持つ学生がこの1、2年でかなり増加した。

 私のように、マルクス主義左翼全盛の学生時代に知的好奇心をやしなった者にとっては、マルクスを「卒業」したところから社会科学の研究は始まったはずであった。そのような時代的経験を経た者からみると、この動向は何か奇妙にみえる。

 しかし、考えてみれば決して不思議なことではない。近年の所得格差の急速な拡大若者を襲う雇用不安賃金水準の低下と過重な労働環境、さながら1930年代の大恐慌を想起させるような世界的金融不安といった世界経済の変調を目の前にしてみれば、資本主義のもつ根本的な矛盾を唱えていたマルクスへ関心が向くのも当然であろう。おまけに、アメリカ、ロシア、中国、EU(欧州連合)などによる、資本の争奪と資源をめぐる激しい国家(あるいは地域)間の競争と対立は、あたかもレーニンとヒルファーディングを混ぜ合わせたような国家資本主義と帝国主義をも想起させる。

 ≪「無政府的な」資本主義≫

 この事態を生み出したものは何だったのだろうか。いうまでもなく、社会主義の崩壊以降に一気に進展した金融中心のグローバリズムである。

 資本主義の崩壊、社会主義への移行というマルクスの予言は間違っていると考えていたので、私にとって、社会主義の崩壊は、その時期はともかく、ある意味では当然であった。しかし、その後のいわゆる新保守主義もしくは新自由主義のいささか傲慢(ごうまん)なまでのグローバル市場礼賛は、私にはあまりに危ういものに思われた。絶えず貪欲(どんよく)なまでに利潤機会を求めて拡張を続けようとする資本主義は、過度な競争の果てに、社会そのものを深刻な不安定性の深淵(しんえん)に引きずり込むのではないか、と思われたのである。

 社会主義の崩壊以降の真の問題は、資本主義の勝利を謳歌(おうか)することではなく、いかにして「無政府的な」(つまり「グローバルな」)資本主義を制御するか、という点にこそあったのである。

 グローバリズムは、経済の考え方を大きく変えた。戦後の先進国の経済は、製造業の技術革新による大量生産・大量消費に支えられて発展してきた。賃金上昇が需要を喚起してさらなる大量生産を可能とし、一国の経済政策が景気を安定化したのである。社会は中間層を生み出し、政治は安定した。明らかにマルクスの予言ははずれた。

 しかし、80年代のアメリカの製造業の衰退は、資本主義経済の様相を大きく変えていった。国内での製造業の大量生産ではなく、低賃金労働を求める海外進出によって、さらには金融・IT(情報技術)部門への産業構造の転換によって、資本と労働を著しく流動化させ、そこに利潤機会を求めた。

 ≪「経済外的」な規制必要≫

 その結果、90年代に入って、利潤の源泉は、低賃金労働や金融資本の生み出す投機へと向かった。要するに、製造業の大量生産が生み出す「生産物」ではなく、生産物を生み出すはずの「生産要素」こそが利潤の源泉になっていったのである。かくて、今日の経済は、確かに、マルクスが述べたような一種の搾取経済の様相を呈しているといってよい。

 資本主義が不安定化するというマルクスの直感は間違っていたわけではない。しかしむろん、マルクスの理論や社会主義への期待が正しかったわけでもない。マルクスに回帰してどうなるものでもないのである。

 問題は、今日のグローバル経済のもつ矛盾と危機的な様相を直視することである。市場経済は、それなりに安定した社会があって初めて有効に機能する。そのために、労働や雇用の確保、貨幣供給の管理、さらには、医療や食糧、土地や住宅という生活基盤の整備、資源の安定的確保が不可欠であり、それらは市場競争に委ねればよいというものではないのである。

 むしろ、そこに「経済外的」な規制や政府によるコントロールが不可欠となる。「無政府的」な資本主義は、確かにマルクスが予見したように、きわめて不安定なのである。マルクスの亡霊に安らかな眠りを与えるためには、グローバル資本主義のもつ矛盾から目をそむけてはならない。(さえき けいし)

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この記事へのコメント

西森憲司
2008年08月03日 22:19
資本主義が共産主義に勝利したのは、資本主義が全面的に正しかったというより、共産主義があまりにも理想的過ぎたからだと思います。
理念という観点で捉えれば、共産主義の方が格調高いことも間違いないと思います。
昨今、若い世代に共産主義が流行っているというのは、一つの新興宗教として捉えているのかもしれません。
精神の脆弱さを感じます。
正論かも
2008年08月04日 19:29
西森憲司 さん コメント有り難う御座います。 最近の風潮は色々と考えさせられますよね。<マルクスはまず、資本主義生産の特徴である商品の分析を行い、資本家が獲得する利潤は、労働者が生み出した剰余価値であり、ゆえに資本家は搾取階級であると説く。労働者は貧困化し、階級闘争が高まり、資本主義は必然的に崩壊すると述べている。>(はてなダイアリーより) 今の資本主義体制は成熟期にあるのでしょうか?それとも爛熟期?それとも、草創期? 資本主義の崩壊は考えられるのでしょうか?
 難しい問題のように感じられます。
西森憲司
2008年08月04日 20:56
歴史を鑑る限り、1000年、いや500年続いた体制はないでしょう。
崩壊は十分ありうると思います。
しんちゃん
2008年08月05日 20:33
正論かもさん。今日は。
佐伯さんの「正論」は以前「ニヒリズムへ突き進む日本」でとり上げられましたね。
この記事の内容はそれと根底で繋がっているような気がしてなりません。
「ニヒリズムへ突き進む日本」で指摘されたように、本来、手段であるはずの経済成長が自己目的化し、何のために働くのか?‥こうしたニヒルな態度が更なる「経済発展のための経済」つまりは「剥き出しの欲望」が幅を利かす世界を構築していくのだとしましょう。
すると「搾取」は必然だと思います。そこで搾取される側の論理と「力への意志」とを結びつければ、剥き出しの「欲望」に対する、理論化された「怒り」での対抗ないでしょうか。勿論、これは意図的な2分化で「怒り」を「欲望」の変種と定義できなくはないが。
もしそうだとすると、両者(搾取する、される)は剥き出しの「エゴ」と社会不安の相克のなかにあるのではないでしょうか。
そしてもしそうだとすると「マルクスの亡霊」では問題解決にはならないと思います。
しんちゃん
2008年08月05日 20:36
上記に脱字があります。対抗なのではないでしょうか。‥でした。

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