太宰治。生誕100年、桜桃忌(おうとうき)

きょう19日は太宰治の生誕100周年にあたります。
明治42年(1909年)6月19日 - 昭和23年(1948年)6月13日)。本名は津島修治(つしましゅうじ)。
 愛人・山崎富栄(1917-1948)と太宰の遺体が発見されたのは、奇しくも太宰の誕生日である6月19日の事であった。
 太宰38歳没(満年齢)。

1933年(昭和8年)より小説の発表を始め、短編「列車」、「魚服記」を発表。
最初の結婚が決まった頃、別の女性と心中し、自殺幇助(ほうじょ)罪に問われた(起訴猶予)。

1935年に「逆行」が第1回芥川賞候補となるが、落選。その後、都新聞社に入社できず、自殺未遂。
 第2回芥川賞の結果は「受賞該当者なし」となり、第3回では過去に候補作となった作家は選考対象から外すという規定がもうけられ候補にすらならない。

この間、 
晩年(1936年(昭和11年)、砂子屋書房)、虚構の彷徨、ダス・ゲマイネ(1937年(昭和12年)、新潮社)
二十世紀旗手(1937年、版画荘)を発表。

1937年(昭和12年)、内縁の妻小山初代(1912-1944)とカルモチン自殺未遂、一年間筆を絶つ。
 小山初代が津島家の親類の画学生小館善四郎と密通していたことを荻窪の碧雲荘の二階炊事場廊下にて小館自身より告白され、初代と心中未遂、離別。

上記、太宰24歳から29歳の頃の青年期激動の時代です。

その様な太宰を、一時的にもせよ救ったのは、井伏鱒二であり、山梨の土地だった。
 
 井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)
  1929年(昭和4年)初めて太宰治と会った。井伏鱒二31歳。太宰治20歳。

 1938年(昭和13年)9月、井伏は、自分がしばしば滞在して作品執筆をしていた御坂峠天下茶屋を太宰に紹介する。
 http://www.fujigoko.co.jp/kawaguchiko/tenka.html
(山梨県南都留郡河口湖町河口2494  御坂峠本店 0555-76-6659)

3ヶ月余りを、2階の一室ですごすわけであるが、ここでの生活は、太宰に大きな転機を与えた。
その第一は、未完ながら「火の鳥」を執筆したことである。

井伏鱒二の立ち会いで太宰がお見合いをしたのは、御坂峠へ来て間もなく。
昭和14年1月に井伏の仲人で石原美知子と結婚。一高に近い御崎町に新所帯を持つ。

「太宰治文学サロン」・・・住所:三鷹市下連雀3-16-14
   電話:0422-26-9150
   開館時間:午前10時-午後5時30分
   入場料:無料
 http://www.news.janjan.jp/culture/0803/0803041947/1.php

「山本有三記念館」・・・【所在地】 〒181-0013 三鷹市下連雀2-12-27
   Phone: 0422-42-6233
   【入館料】 一般300円 団体200円(20人以上)
 http://mitaka.jpn.org/yuzo/

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